【生麦事件メモ9】
薩英戦争の翌年1864年、
イギリス軍が薩摩の民家を攻撃してしまったことがイギリス議会で問題に。
ビクトリア女王は遺憾の意を表しました。
イギリス国内で、罪のない一般市民にまで大きな被害を与えてしまったなんて、人道的に許せない!と各地から英国艦隊への非難の抗議が次々へと寄せられてしまったのです。
撤退したイギリス艦隊が再び攻撃に出なかったのはそういう世論の動きもあったのですね。
さて、薩英戦争時に捕虜になってしまった五代友厚は、その経験をきっかけに、海外への留学が必要だと強く推し、1865年、16名の英国留学を実現させます。
当時の日本はまだ海外への渡航は認められていなかった為、密航での留学となりますが、このことが日本の近代化を大きく進めて行くことになります。
鹿児島いちき串木野市にはこの留学を記念した「薩摩藩英国留学生記念館」が2014年に建ったそうです。館のホームページにこの留学の説明が詳しくまとめられていましたのでご紹介します。きっかけが生麦事件から始まったことも記されていました。
2015年のNHKの朝ドラ「あさが来た」で第2の主人公として活躍した、ディーン藤岡さんが演じた五代友厚。番組終了後は「五代ロス」という言葉ができるほど有名になった五代友厚も、生麦事件・薩英戦争でのキーパソンだったんですね。
女王が出てきたり、英国留学も実現したり…生麦事件からどんどん歴史が動いたことがわかりますね。
次の生麦事件メモはこの後1866年。ちょっとクイズも予定しています。