Category Archives: 生麦まち情報

生麦de事件まつりまで後20日

おまたせしました!

第2回 生麦de事件まつり 公式サイトオープンです!!

https://namamugi.yokohama/

※昨年とURLが違いますのでご注意下さい

横浜専用ドメイン「.yokohama」を取得しました!『namamugi.yokohama』って覚えやすいですね♪

公式サイトではこのお祭りの詳細はもちろん、参加店をジャンルごとに絞って見ることもできるようになっています。

今回実行委員が頑張ったのはサイトに埋め込んだGoogle Mapにお祭り参加店の位置番号を追加し、それをクリックすると公式サイト内の詳細ページにジャンプする仕組みです!

残念ながらGoogleの使用で、スマホで拡大ボタンを押してアプリ等で開くと、番号が消えたり、リンクがタップできなかったりしますが・・・サイト内の地図の上で指でピンチアウトしたり2本指でスワイプするなどして生麦のお店一覧を確認してみてください!

お祭り開催決定が決まったのが8月の27日。それから1ヶ月で、企画から、なんとかチラシ作成とホームページ公開まで、少人数のお祭り実行委員会でオンラインでのやりとりを中心に頑張って来ました!

お祭りまで後20日。もっと盛り上げていきたいと思います。

応援のほどよろしくお願いします!!

記事をシェアしてくれるとかなり嬉しいです!!

#生麦de事件まつり #生麦 #岸谷 #公式サイト #オープン #お祭りまで #後20日

第2回生麦de事件まつりまで後29日

【第2回のチラシデザインができました!】

お待たせしました!チラシのデザインが完成しました!!

デザインは実行委員でもある「アート工房まんまるず」が担当しました。

今回は約60の参加店があるので、6ページのチラシになりました。

これから生麦の印刷屋さん「青陽社」さんで印刷をしてもらいます。

印刷は12日の週くらいに仕上がる予定なので、各店で配布を始めますが

今日から表紙をポスターとしてプリントしてあちこちに展示していく予定です!

今回は「商店街がおまつりの会場」というコンセプトを全面に押し出し、

商店街をイメージしたイラストを散らばめたデザインになっています。

ハンバーガー、まぐろ、ワイン、シャツ、鍋、お弁当…

中にはなんだろう?っていう怪しいものも…

皆さんのご想像にお任せしますが

どうしても気になる方は、まんまるずもイベント販売をしますので

おまつりの日に、質問してみてください!

表紙以外はこちらからPDFデータが閲覧・ダウンロードできます

(web閲覧用の為、一部写真の画質を落としています)

http://manmarus.com/jiken/jiken02leaf.pdf

情報も解禁になりましたので、明日からは

残りの生麦事件メモも紹介しながら、参加店をご紹介していきますね!

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第2回生麦de事件まつりまで後30日

【生麦事件メモ24 生麦事件クイズその3の答え】

昨日の問題

薩摩藩の大名行列の長さは先頭から最後尾まで「十町」を超えていました。

それってどのくらい長いの?

①生麦〜鶴見

②生麦駅ホーム

③生麦〜花月園前

正解は①の生麦〜鶴見くらいでした。

十町=約1.09kmです。

「町」は長さの単位で「ちょう」と読みます。「丁」とも書きます。

「尺」「寸」なども同じ「尺貫法」(しゃっかんほう)というルールでの昔の長さの単位です。今でも長さという意味で「巻き尺」「寸法」等が使われていますが、「町」を長さの単位では使いませんね。

ちなみに日本では1958年12月31日限りで取引や証明にはこれらの単位は禁止になり、違反すると50万円以下の罰金とか…!意外に厳しい!

尺→間→町→里 と大きくなっていきます。「間」「里」も長さの単位なんですね。規模が大きくなっていくのはわかりやすいかも。

でも、面積の単位でも「町」を使ったり、尺は地域によって長さが違ったり…やはり現代ではは使いにくそうな単位です。

というわけで、生麦事件があったとき、大名行列は生麦から鶴見の近くまで続いていたんですね。

新しいiPhoneが出る度にアップルストアで500m以上の行列ができてニュースになっていましたが、その倍くらいの長さ……。

ディズニーランドのエレクトリカルパレードでも900mくらいらしいので、薩摩藩の勝ち(?)です!

おまつりまでついに一ヶ月を切りました!

いよいよ今年のチラシデザインを明日、公開する予定です!

#生麦 #生麦事件 #生麦de事件まつり #大名行列 #鶴見 #町 #尺貫法 #薩摩藩

 

第2回生麦de事件まつりまで後31日

【生麦事件メモ23 生麦事件クイズその3】

薩摩藩の大名行列の長さは先頭から最後尾まで「十町」を超えていました。

それってどのくらい長いの?

①生麦〜鶴見

②生麦駅ホーム

③生麦〜花月園前

正解は生麦事件メモ「24」で!

というのが昨年作った生麦事件メモ23のクイズですが、3の選択肢、今は駅名が変わってしまいました!

2020年3月に京急「花月園」駅は「花月総持寺」駅に名称が変更になったのです。

総持寺というのは、石原裕次郎さんのお墓があることでも有名な総持寺大本山です。競輪場があった西口から少し鶴見寄りに歩いたところにあります。

花月総持寺駅の東は生麦5丁目になります。海の方まで行くと、生麦魚河岸が有名ですね。

今回のお祭りは生麦駅前の「生麦駅前通り商友会」と「岸谷商栄会」、2つの商店街が主催で、お祭り参加店も生麦駅の周りのお店が多いですが、花月総持寺駅に近いお店も2つ参加してくれます。

情報解禁前ですが、こちらの2店舗は確定しているので、少しネタバレしちゃいましょうか。

どちらも美味しい人気店、西口すぐの中華料理「克」さんと、東口すぐ、和菓子の「ふくべ」さんがおまつり参加予定です!

詳しい内容はまた後日、こちらのページでお知らせしますのでお楽しみに!

花月総持寺は、横浜市営バスだと、西口に「東福寺前」、東口には「生麦北町」というバス停があります。

生麦駅から歩いても15分くらいです。お祭りの頃はもうすっかり涼しくなっていると思いますので、ゆっくりお散歩してみても気持ち良さそうですね。

さあ、いよいよお祭り開始まで後31日となりました!

明日は今回の事件メモクイズの回答を予定しています。

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第2回生麦de事件まつりまで後32日

【生麦事件メモ21 薩摩藩のお弁当】

薩摩藩の大名行列の昼食弁当は、握り飯と沢庵と梅干し。

それを竹の皮に包んだものです。

【生麦事件メモ22 大名行列の籠】

薩摩の島津久光の籠の乗り物は10人で担いだと言われています。

それでも100kg以上はあったのだから、担ぐ人は大変ですね。

2つのメモを合わせて考えると……

大名行列の担ぎ手達は、おにぎりとたくあん、うめぼしだけで

100kgのかごを担いでいたことになりますね。

当時はクーラーボックスもドライアイスもありませんから

保存の聞くお弁当に限界があったのでしょうか。

担ぎ手でなくても、想像するだけで大変ですね。

肉食集団と言われていた薩摩藩……

残暑の中、梅握りと沢庵だけで長距離を歩き……

後少しで神奈川宿だという時に、無礼を働く異国の者たちが!!

生麦事件が起きたのは、薩摩藩のサムライたちに栄養が足りなくてイライラしていたのもあったのでは!?

ふとそんなことを考えてしまいました(笑)

生麦de事件まつりの参加店の中にもおにぎりを扱っているお店があります。

もうすぐ情報解禁なのでお楽しみに!

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第2回生麦de事件まつりまで後33日

さて、昨日の回答です。

【生麦事件メモ20 生麦事件クイズ その2の答え】

昨日の問題:薩摩藩の行列が江戸から鶴見市場に差し掛かった時、島津久光が見た果物畑には何がなっていたでしょう?

①みかん ②梨 ③柿

正解は…②の梨でした!!

今までの流れだとみかんだと思ってしまった人もいると思いますが、鶴見市場のあたりに昔あった果物畑は梨だったそうです。

現在、鶴見市場に梨畑はないようですが、横浜には「はま梨」という横浜ブランドの梨があります。市場には出回らず、直販の形で売られているようです。「はま梨」として作られているのは「幸水」と「豊水」の種類の梨のようですが、見た目と味がはっきりと普通のものと違い、幻の梨とも言われているようですね。

浜なしの歴史は意外に新しいそうなので、鶴見市場にあった梨園とルーツは違うと思いますが、横浜は昔から梨が作られていたんですね。

ちなみに梨の旬は7〜10月、種類によって違うそうです。

鶴見市場は昔、現在駅がある付近にまで海があり、漁業や製塩業で生計を立てる人が多かったそうで、

この付近で市が開かれるようになったのが地名の由来だと言われています。

その後、海鮮市場は生麦魚河岸の方に移行したそうです。

次の事件メモも大名行列関係ですよ!

お祭り各店の情報も早くお伝えしたいところですが、もう少しお待ち下さい!10月に入る頃にはお伝えできると思います!

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第2回生麦de事件まつりまで後34日

【生麦事件メモ19 生麦事件クイズ その2】

薩摩藩の行列が江戸から鶴見市場に差し掛かった時、島津久光が見た果物畑には何がなっていたでしょう?

①みかん

②梨

③柿

ちなみに、生麦事件があったのは文久2年の8月21日。新暦だと1862年の9月14日になります。今と同じくらいの季節でしょうか?最近の日本は暑いので、もう涼しい季節だったのでしょうか?

答えはまた明日お話しましょう。

【生麦 de 事件まつり情報】

生麦de事件まつりは、感染症対策をして、商店街各店で色々なイベントが行われますが、今回は空き店舗等のスペースも利用して、特設のブースもご用意する予定です。

いつもの生麦の商店街が、少しだけ特別になる1week、楽しみですね。

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第2回生麦de事件まつりまで後35日

【生麦事件メモ18 薩摩藩が歩いた距離】

生麦事件の後、薩摩藩はイギリスからの追跡を避けるため、神奈川宿から一気に小田原まで1日で歩いたそうです。

神奈川宿は江戸時代に整備された東海道海道五十三次の3番目の宿場になり、今の神奈川本町を中心に、神奈川新町・青木橋(神奈川駅)・横浜西口あたりまで続く大きな宿場だったようです。

歌川広重の描いた「東海道五十三次」で、神奈川宿が描かれています。(画像はwikipediaより/パブリックドメイン)

神奈川宿には本覚寺というお寺があり、そこに生麦事件で斬られたイギリス人2人が逃げ込んだそうです。そちらについても、また詳しくお話できればと思っています。

神奈川宿から小田原までは約60km。フルマラソンでも42.195kmなのに、荷物をもった状態で1日にそれだけ歩いたというのはすごい体力ですよね。

【生麦de事件まつり】

ほとんどのお店が通常営業の延長で行われます。1週間の間、いついらっしゃってもどこかの店が何かをしているので、普段の買い物や会社帰りにふらっと寄っていただくような形でも楽しめます!

普段は定休日や、開店前の時間にお店の前でイベント販売を行うお店もありますので、またこちらでもスケジュールの情報を発信する予定です!

今回は飲食店以外の商店街のお店も色々なことを予定しています。

え!?こんな店までも!!という意外なイベントもあります!情報発信までもう少しお待ち下さい!

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第2回生麦de事件まつりまで後36日

お待たせしました!薩摩藩がイギリスに友好の証にプレゼントしたもの…

【生麦事件メモ16・17 生麦事件とみかん】

なんと、薩英戦争の後、みかんの苗が英国に贈られたそうです(諸説あります)。

そして、薩摩藩は和平交渉で、イギリスに薩摩のみかんを輸入してもらうように約束しました。

このことから、今でもイギリスでは温州みかんのことを「サツマ」「Satuma orange」とよぶようです。

サツマと英訳できること自体、知らなかった方も多いのではないでしょうか。

イギリスやスペインでは結構普通に温州みかんはサツマ、サツマ、と呼んでいるそうで、鹿児島産どころか日本産でなくてもサツマ、と呼ぶようです。

他の説もあるようですが、温州みかん=Satsuma=薩摩が由来ということは確実のようです。

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ネット検索で色々なブログ等を見ていると、イギリスでは、薩英戦争は痛み分けでなく、負けたんだ、と認識している方も少なくないようで、負け無しのイギリスが唯一負けたのが薩摩だ、そしてSatsumaをたくさん輸入することになったんだ、どうして日本人がそれを知らないんだ!みたいな話もいくつか見かけました。

その後の薩英の良い関係を考えると、交渉で仕方なく輸入、というよりは仲良くなったから、友好の気持ちを込めてサツマと呼ぶようになった、と考えた方がしっくりしませんか?

ちなみに、あのハリーポッターでも原版ではsatumaを皆で食べるシーンがあるようです!

みかんといえば、生麦盛り上げ隊隊長の私。今年も床屋で、みかんを販売しますよ!

まさか、「みかん」まで生麦事件とそういう風に繋がっていたなんて!

お祭りでは1個単位から購入できます。みかん農家さんから直接仕入れているので、本当に美味しいみかんです!

もちろん床屋さんとしてのお祭り限定サービスも予定しています!

さて、お祭りの参加店がほとんど出揃いました。協力店も含めると、なんと60店を超えました!10月からは各店が用意するイベントや限定商品のご紹介を始められると思いますのでお楽しみに!

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第2回生麦de事件まつりまで後37日

薩摩がイギリスに贈った物はみ……

と答え合わせをしたいところですが、昨年作成した生麦事件メモの順番では、先に他の豆知識がありましたので、今日はこちらのご紹介になります。

【生麦事件メモ14・15 生麦事件当時の日本人口】

生麦事件があった1862年の日本の人口は3330万人と推計されています。この人口はフランス3800万人、イギリス3400万人に匹敵し、日本は既に大きな国であったといえます。

また、江戸の都市人口は69万4000人。

北京90万人に次ぐ世界第2の都市だったとのこと。

開国当時の日本は小さなイメージだったかもしれませんが、そんなに人が多かったんですね。これでも驚きですが、これは参勤交代緩和で減った人数のようで、それより前、江戸時代中期頃には参勤交代で大名がで江戸にも屋敷を持ったり、その妻・家臣も江戸に住む必要があったため、江戸は100万人を超える世界最大都市だったと言われています。

今でこそ日本には100万を超える都市がいくつもあり、東京は約970万、横浜も約380万人の人口ですが、これは2階建て以上の家屋がたくさんあり、タワーマンションのようなものまであって成り立っているものですよね。

当時はほとんどが平屋だったので、人口密度はかなり高かったことでしょう。江戸の町でソーシャルディスタンスなんて、とても難しかったかもしれません。

というわけでお預けになってしまいましたが、次の生麦事件メモは、薩摩藩がイギリスにプレゼントした「あるもの」の話になります!

ヒントは「床屋さん」です。

#生麦 #生麦事件 #日本は大きな国 #江戸時代 #生麦de事件まつり

第2回生麦de事件まつりまで後38日

さて、昨日のクイズの答えです

【生麦事件メモ12-13  かごしま黒豚】

昨日の問題:イギリスとの宴のメインディッシュは次のどれでしょう

1.トンカツ 2.豚しゃぶ 3.豚の丸焼き

正解は……

まさかの、3の豚の丸焼きでした!!!

薩摩藩らしい、豪快なご馳走!!

元々薩摩豚は琉球から移入されたものが起源。

薩英戦争の後、薩摩藩はイギリスに友好の証として、あるものを贈り、そのお返しに、イギリスから薩摩に豚が贈られたと言われています。

そのイギリスから来た豚「バークシャー種」を導入して、品種改良されたのが現在の鹿児島の名産品「黒豚」になったのです。

つまり、生麦事件があって、薩英戦争でイギリスと仲良くなったから、今の美味しいかごしま黒豚が食べられるんですね!

戦国時代から、薩摩では豚肉のことを「歩く野菜」と呼んで、豚を生きたまま兵糧として戦場に運ぶほど。「肉食集団」と呼ばれるくらい豚肉を愛していたようです。イギリス人から驚かれたのも無理はないですね。

さて、薩摩がイギリスに贈ったあるものとは何でしょう?

これはメモではクイズになっていませんが、先日少し話題に出した物です。こちらについては少し後になりますが「生麦メモ15」でまたご紹介します!

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第2回生麦de事件まつりまで後39日

歴史の話が続きますが、今日はクイズがあります!

【生麦事件メモ10-11 薩英大宴会】

生麦事件→薩英戦争→痛み分け→親交を深める

ということで1866年、公使パークス一行を招いて、薩摩藩で盛大な宴が開催されたそうです。それはそれは豪華な食事が並んだようですが、当時招待されたイギリス人は「ぶっちゃけ料理はいまいちだけど、接待が丁寧なのがとても良かった」のようなことを書き残しているそうです。

和食は当時の外国人には慣れないものばかりで、洋食も日本で用意できるものはまだ難しかったのかもしれませんが、接待が賞賛されているのは、さすが日本。「おもてなし」の心が昔々から大事にされてきたことがわかりますね。

さて、当時の薩摩では豚肉料理が最高のご馳走とされていたようです。イギリス人から「クレイジーだぜ」とまで言われるくらい、薩摩では豚肉料理が流行していたようですね。

もちろんこの宴でもメインディッシュは豚肉。

そこで問題!イギリスとの宴のメインディッシュは次のどれでしょう

1.トンカツ

2.豚しゃぶ

3.豚の丸焼き

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昨年のお祭りに用意した生麦事件メモではこのようなクイズがいくつかあり、答えは少し離れたテントに貼っていました。

今年も各店にこの事件メモは掲載予定ですが、こちらのページで順番にご紹介しています。

鹿児島といえば豚肉…どれも美味しそうですね。この投稿を書いている生麦de事件まつり実行委員はカツ丼が好きですが、さて、この宴会では何が振る舞われたのか…。

明日、クイズの答え合わせをしますので、是非考えてみて下さい!

#薩英戦争 #宴会 #豚肉

第2回生麦de事件まつりまで後40日

【生麦事件メモ9】

薩英戦争の翌年1864年、

イギリス軍が薩摩の民家を攻撃してしまったことがイギリス議会で問題に。

ビクトリア女王は遺憾の意を表しました。

イギリス国内で、罪のない一般市民にまで大きな被害を与えてしまったなんて、人道的に許せない!と各地から英国艦隊への非難の抗議が次々へと寄せられてしまったのです。

撤退したイギリス艦隊が再び攻撃に出なかったのはそういう世論の動きもあったのですね。

さて、薩英戦争時に捕虜になってしまった五代友厚は、その経験をきっかけに、海外への留学が必要だと強く推し、1865年、16名の英国留学を実現させます。

当時の日本はまだ海外への渡航は認められていなかった為、密航での留学となりますが、このことが日本の近代化を大きく進めて行くことになります。

鹿児島いちき串木野市にはこの留学を記念した「薩摩藩英国留学生記念館」が2014年に建ったそうです。館のホームページにこの留学の説明が詳しくまとめられていましたのでご紹介します。きっかけが生麦事件から始まったことも記されていました。

http://ssmuseum.jp/

2015年のNHKの朝ドラ「あさが来た」で第2の主人公として活躍した、ディーン藤岡さんが演じた五代友厚。番組終了後は「五代ロス」という言葉ができるほど有名になった五代友厚も、生麦事件・薩英戦争でのキーパソンだったんですね。

女王が出てきたり、英国留学も実現したり…生麦事件からどんどん歴史が動いたことがわかりますね。

次の生麦事件メモはこの後1866年。ちょっとクイズも予定しています。

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第2回生麦de事件まつりまで後41日

シルバーウィークも2日目ですね。

この連休明けに、いよいよ各店お祭りの内容を決定していく予定です!

さて、今日は昨日の続きの「生麦メモ」をご紹介しましょう

【生麦メモ8 結果、仲良くなった薩・英】

生麦事件薩英戦争は痛み分け。まさかこんなことになるとは予想できなかったイギリス。改めて交渉での平和的解決を薩摩藩に申し出ます。

交渉は難航しますが薩摩は最後までイギリスには屈せず、賠償金でなく、遺族への慰謝料という形で2万5000ポンドを江戸幕府に借りて支払います。そしてその借金はそのまま踏み倒しています(笑)

結局、生麦事件の犯人も、架空の人物が行方不明になったまま、と押し通しちゃいます。

薩英戦争で、イギリスの軍事力の高さを実感した薩摩藩。多くいた攘夷論者も攘夷を諦め、イギリスと友好関係を結ぶ方が絶対いいよねー!となっていきます。

イギリス側も薩英戦争とその後の交渉の中で薩摩を高く評価します。今回の生麦事件の対応でも微妙な対応だった幕府よりも、勇敢だった薩摩藩の方が全然信頼できるじゃん!仲良くなるならサツマ!という感じですね。

大喧嘩をした後に、親密な関係を築いた薩英。まるで一昔前の青春マンガで、主人公がガキ大将と河原でボカスカ取っ組み合いの喧嘩をした後、お互いを認めあって友情が生まれたような話です!

文化の違いや行き違いから起きてしまった生麦事件。それは、戦争まで引き起こしましたが、結果的に薩摩がイギリスと仲良しになり、日本が近代国家の一員となるきっかけだったのです。

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2回生麦de事件まつりまで後42日

【生麦事件メモ6・7 薩英戦争】

今日ご紹介する生麦メモは、薩英戦争について。

幕府は賠償金を払いましたが、薩摩藩はプライドがあるので、断固拒否を続けます。「生麦事件の犯人引き渡し」という話が、「イギリスが島津久光の首を差し出せと要求している」と誤って伝わってしまっていた事もあり、なんともこじれてしまいました。

薩摩藩は実行犯に架空の人物をでっち上げて時間稼ぎをしたり、鹿児島湾に交渉しに来たイギリス艦隊に、すいか売りのふりをして奇襲をかける「スイカ売り決死隊」作戦(イギリスがスイカを食べないので怪しまれて中止)を実行してみたり……、世界最強とも言われてきたイギリスも、さすがにこんな相手は初めてだったのではないでしょうか。

しびれを切らしたイギリスは、薩摩藩の船に乗り込んで、三隻の船を強奪。中にいた人たちを捕虜にしてしまいます。(その中には朝ドラでも人気だった五代友厚もいたそうです)

薩摩藩は激怒して、イギリス艦隊への砲撃を命じます。

これが薩英戦争の始まりです。

誰もがイギリスに薩摩が勝てるわけないと思っていたのですが、なんと薩摩藩はイギリス艦隊の撃退に成功します。

イギリスの死傷者は約60名軍艦一隻は大破。対する薩摩藩は死傷者10名。ですが鹿児島の街に大きな被害が出てしまいました。戦争の結果としては痛み分けですね。

【どうして薩摩は負けなかったのか】

これにはイギリスが薩摩を甘く見ていたとか、桜島の奇襲作戦がうまくいったとか、色々あるようですが、なんと、イギリスは弾薬庫前に、幕府から受け取ったドル箱を積んでしまっていて、砲撃がすぐに開始できなかったのです。

そう、幕府が面子を気にして夜中にお相撲さんに運ばせた重ーいドル箱。慌ててどかそうとしてもなかなか動かなかったとかなんとか……。さらに台風で海もあれたりと、イギリス軍涙目。

とにもかくも、明らかに力の差があるのに、負けなかった薩摩。様子を見ていた他の国もこの結果は衝撃的だったようです。

生麦事件がきっかけで戦争は起きてしまいましたが、このような結果。この後、イギリスはどう出るか、薩摩はこの戦争の結果から何を学んだか。

さあ、ここから日本が大きく動いていきますよ!